S.Saeki(id:S-Saeki) のオリジナルシナリオばなし
【その5 戦闘と物語の融合は可能か? その1】
S.Saeki です。しばらく休んでしまってすいませんでした。また頑張ります。とはいえ三笠氏はそれどころではないみたいですが。「キミに構っているほど暇じゃないの。あ、でも今週も文章上げなかったらわかってるんでしょうね?」とのことです。鬼がいる。
今回は戦闘について考えてみたいと思います。といってもシュミレーション戦闘についての考察は霞薙さんが素晴らしい解説をご自身の日記で書かれているので、私はストーリーとしての戦闘について取りあげます。
それは意味のあることです。何故ならもし戦闘がストーリーにまったく関わらないければ、その楽しさは将棋の楽しさであり、積み木の楽しさであり、ブロック崩しの楽しみになるからです。それらの楽しみを私は否定しませんが、でもSRCの現在における主流とは違います。
私たちはストーリーと戦闘をうまく絡め和えた道を模索しなければなりません。
今回は、皇さんの『魔導騎兵エステリオン』です。
「どこまでもお約束で、どことなく意表をつく物語」
いわゆるお約束な感じに進むオリロボシナリオ。
その割りには主人公もヒロインもロボットの操縦にちっとも関わらなかったり。開発版で製作したシナリオですが、安定版でもエラーなくプレイが可能です。
(GSCシナリオリンクより紹介を抜粋)
ロボットシナリオにおいて主人公とヒロインがロボットに乗らなければ、彼らは一番強いものではないということを意味しています。
一番強くないのに、彼らは勝たなければいけません。それはSRCがシュミレーションであり、そのほとんどは味方が勝つことによって進行するからです。彼らはロボットを上手に使って戦局で勝利を収めなければいけません。あるいは、ロボットを敵に回していかに知恵を絞り、勝つ道を用意しなければいけません。
が、策略を考えるということはそれだけ理屈を考えるということでもあります。それだけ考えなければいけないことが多くなります。皇さんはシステムのゲーム性に定評のあるシナリオ作者です。これをユニットの個性をそれぞれ際立たせることで解決しています。つまりこの作品は戦闘そのものがよく練られていて、それに共感できればそれだけで面白いものへと仕上がっているのです。
それをただ戦闘のままで出してしまえば、それはただのSLGです。より多くの人に共感を持たせるまで遊ばせるために、では物語をどうするのか。それをこの作品は、個性もまた際立たせることによる掛け合いと、それに違和感のもたせないコメディ的な世界観をそこへ持ち込むことで無理のない形を作っています。これは第二話で増援として登場する敵にも同じことが言えます。皇さんは『ソードワールドSRC 雷光の閃き』という作品でシティアドベンチャーを成立させているように、ゲームシナリオ作りの面にも能力のある人です。ゲームシナリオというのは「自分が優れていると信じるシステムに、遊んでいてどのように無味乾燥のレッテルを張らせないか」という課題があります。このシナリオはそのゲームとしての当然の部分を当たり前のように守っているわけで、それは守れるだけの
基本的な能力の高さを意味しています。
さて、『魔導騎兵エステリオン』は戦闘とストーリーの融合を目指す上で、ゲームとしての分別を守り戦闘の上からキャラクターの皮をかぶせている作り方を取っています。
ではキャラクターの上から戦闘の皮を被せることは可能なのでしょうか。それについてはまた後日考えてゆきたいと思います。おおよそスーパーロボット大戦自体がキャラクターの上からSLGを被せているゲームなわけですが、その評価は賛否両論です。そういう意味では皇さんのゲームはもっともスパロボからは遠いそれなのです。